「認められたい病」からの卒業|思ったより誰も僕を見てなかったと理解できた時にスッとした

はじめに

SNSで「いいね」がつくと嬉しい。
他人のキラキラした投稿を見れば羨ましくなる。
これは誰にでもある承認欲求です。

ただ、僕の場合──それに振り回されすぎて、破産まで経験しました(笑)。
今日はそんな僕の黒歴史と、今たどり着いた境地をお話しします。


Facebookがきっかけだった僕の承認欲求

高校時代の憧れの子との再会

僕がFacebookを始めたのは2011年。
きっかけは、高校時代に好きだった女の子との再会でした。

彼女はすでに海外に住んでいて、僕と一緒に行った「陽キャ代表」の友達と現地で遊んだときに、
「Facebookやってる? こっちではみんな使ってるよ!」
と勧められたのです。

登録してみると、そこには彼女や仲間たちの楽しそうな投稿がずらり。
旅行、飲み会、イベント……まさにリア充全開。
比べる必要なんてないのに、僕はため息ばかりついていました。


比較の果てに生まれた劣等感

一方の僕の投稿といえば……。

  • 良い時 → 出張報告(写真は半分以下)
  • 悪い時 → 「終電逃した」「仕事つらい」
  • さらに酷い時 → 「体臭に気づいた」「ズボンが破れた」

まるで「人生の落ちこぼれ展示会」。
いいねの数も、向こうの投稿の10分の1程度が関の山でした。


承認欲求が膨らみすぎた結果

「もっと人生経験を豊かにしたい」
「そのためにはお金が必要だ」
「社畜だけの人間関係ではダメだ」

この3つを僕は“承認欲求”として膨らませ、
満たすために必死で動きました。

そして辿り着いたのは──地獄のジェットコースター。

  • 超高級ダイエットサロンで多額の借金をこしらえ
  • 仮想通貨にドはまりし、
  • MLMにどっぷりつかり、
  • FXにもどっぷり嵌り
  • 破産してもなお資産家に憧れて弟子入り、
  • 3年を費やした挙げ句、殺されかける。

結果、もう一度どん底に落ちました。


ようやく辿り着いた境地

それでも「やり直そう」ともがき続けた結果、
出会った人たちや本のおかげで、ようやく今の境地に辿り着けました。

承認欲求は悪ではありません。
むしろ「誰かに好かれたい」「誰かの役に立ちたい」という人間らしい本心です。

だからなくす必要はない。
羨ましければ他人の投稿を好きなだけ見て、
「なんでこうなるんだ?」と研究し、
「自分ならどうする?」を考えるのもアリです。
商機が見えることだってあるかもしれない。


まとめ:バズっても睡眠時間は増えない

ただし──。
バズっても家賃は下がらない。
バズっても睡眠時間は増えない。
バズっても不健康なまま。

承認欲求を追いかけすぎると、僕のように致命傷を負うかもしれません。

だから「辞めとけ!」とは言いません。
でも、どうか僕みたいにならないように(笑)。

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