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嫌われるのを恐れ過ぎる「いいひと」に徹した僕が大人になってついに得しはじめた話

僕自身のこと

結論から言うと

嫌われるのを嫌う僕は、結果的に 「選択の主導権」 を自分に回せるようになりました。

つまり、どっちを選んでも基本うまくいくことが増えたのです。

一見マイナスに見える「嫌われたくない性格」ですが、振り返ってみると意外に得をしたこともありました。

今回はその体験談をシェアしたいと思います。

昔話から始めます

僕はよく「いい人」と呼ばれるタイプの人間です。

それは、小6から中3までの長い間、理由も分からないまま「キショイ」という言葉と一緒にいじめられてきた経験が大きいと思います。

その時間を耐え抜く中で、僕は誰よりも長く「嫌われないための言葉選び」を考えながら生きてきました。

高校でのリセットと陰キャ生活

必死に勉強して、嫌いな奴らの手が届かないレベルの高校に進学できた僕は、人間関係をリセットすることができました。

ただ、高校ではどちらかと言うと「陰キャ」と呼ばれるグループに属していました。

「嫌われたくない」という思いから、グループ外の人に対しても基本 YES で応じ、常に優しい態度で接していたのです。

青春の羨望

高校2年になった時、クラスに好きな女の子ができました。

けれど思いは届かず、同じクラスのラグビー部イケメンが彼氏に。

その時、僕は思いました。

「いいよなぁ、コイツは。イケメンだし、友達も多いし、彼女もできてるし。」

羨ましかったんです。

ただ、それだけではなくて──。

友達が多いというのは、冗談や揶揄いを言い合える、本音をぶつけ合える仲間が多いということ。

彼女の前では、どんなに照れていても目はハートになっている。

そんな「自分に正直に接している友達」の姿が、心の底から羨ましかったんです(笑)。

媚びているいい人

でも僕には、そういうふうに行動する勇気はありませんでした。

経験上、いつ突然いじめの標的になるか分からなかったからです。

だから僕は、嫌われるのが怖くて「媚びてるいい人」にしかなれませんでした。

表面上は優しくて、相手に合わせて、基本YESで受け入れる。

けれどその実態は、ただ嫌われないために必死で立ち回っていただけ。

だから当時の僕にとって、他人の優しさは──

  • 「胡散臭い」
  • 「裏があるのでは?いや、きっとあるな」
  • 「何か怪しい」

今の言葉で言うなら、まるで “無料お試し期間の後に高額請求が待っているやつ” にしか見えなかったのです(笑)。

嫌われないことで得したこと

仕事編

  1. タスクの主導権が回ってくる
    衝突を避けてきた分、タスクの最終決定を任されることが増えました。
    「じゃあ最後はお前に任せるよ」と言われることも多く、自分のペースでコントロールできる場面が増えたのです。
  2. 関わるべき人を選べるようになった
    無理に媚びなくても、自然と相手から好意的に接してくれることがほとんどに。
    その結果、嫌な人間に時間を奪われず、「誰と関わるか」を自分で選べるようになりました。
  3. Noを言う後ろめたさがなくなった
    仲間が十分にいると分かったことで、「嫌われても困らない」という安心感を持てるようになりました。
    そのおかげで、Noを言う時に後ろめたさを感じにくくなったのです。

友人関係編

  1. 親友は多くなくていいと理解できた
    「親友はそんなにたくさん作れないし、必要もない」と気づき、無理に媚びて承認欲求を満たそうとする必要がなくなりました。
  2. 丁寧に接するベースがあるから好意的に扱われる
    嫌われないように丁寧に接してきた習慣があるので、基本的に人からは好意的に扱ってもらえます。
  3. 距離を取る判断ができる
    遅刻やドタキャンなど、明らかに優先度を下げてくる相手とは付き合わない。
    嫌われるならそれでも良いし、結果的に邪魔が減るだけです。
  4. 本当に大切な人だけが残る
    そうして残るのは「本当に大切にしたい」と思える人だけ。
    今の僕の周りには、大好きだと思える人たちが残りつつあります。

日常生活編

  1. 穏やかさが信用につながる
    普段から穏やかにしていることで、自然と周囲に安心感を与えられます。
  2. 大きな買い物で得をする
    車や家電などの高額商品を購入する時に、「上得意様」として扱われ、他の人とは違う値引きをしてもらえたり、サービスを付けてもらえることがあります。
  3. 特別なテクニックではなく積み重ね
    これは特別な裏ワザではなく、日常の丁寧な積み重ねが自然と形になったものです。

40歳を迎えて変わった感覚

結局、このスタイルを崩せないまま40歳を迎えました。

ところが不思議なもので、そこから少しずつ別の感覚が芽生えてきたのです。

確信に変わったのは今年になってから。

長い年月をかけて、二度も死にかける経験をしてようやく気づけました(笑)。

それは──

嫌われる勇気を持てた時、どう行動しても結局はいい方向へ進む ということ。

例えば:

  • 「利用してやろう」と近づいてくる人には、遠慮なく関係を清算すればいい → 結果、邪魔な存在が一人減る。
  • 許容範囲なら、少しぐらい泳がせておけばいい。
  • 利用されるかもしれなくても、その人を好きだと感じるなら気にせず一緒にいればいい → 結果、大した害はないことが多い。

アドバイスと言うほどでもない話

僕はこの気づきに、色々あって20年以上もかかってしまいました。

でも、もしあなたが同じように「嫌われるのが怖い」と悩んでいるなら──。

若いうちに「致命傷にならないレベルの」経験値を増やすのをおすすめします。

それはお金で買ってでも。特に 人と向き合うもの がいいと思います。スキルアップや自分の変化を肌で感じられる経験は、必ず後から効いてきます。

僕の場合、20代から毎年同窓会に出ていました。若い頃は薄毛を揶揄われて悔しい思い出ばかり。30代を過ぎると、標的は別の友人に移りましたが、その子はいまだにいじられ続けています。

一方の僕は──

  • 人よりたくさん海外に行ったり
  • 5000万オーバーのロールスロイスやベントレーから、30万円の真っ直ぐ走らないインド車まで乗り比べたり
  • ビジネスの場でしごかれすぎて耐力がついたり
  • いつのまにか人並み以上に稼げるようになったり
  • そして二度死にかけたけど、這い上がってきたり(笑)

他にも色々あります。(ここでは“いいもの”を厳選しました笑)

僕に足りないのは、結婚生活と子どもくらい。

それでも、経験を積んできたこと自体は大きな財産です。

気づいた時には、経験値で自分に勝る人間はかなり少なくなっていました。

「いない」とまでは言いませんが、少なくとも僕を揶揄ってきたような連中の知らない領域にいるのは確かです。

その事実に気づいた時、僕の中でハッキリと答えが出ました。

こちらが媚びる必要はない、と。

関係の主導権はこちらにあります。

誰と付き合うかはこちらが選んでいい。嫌われようが関係ありません。

こちらを嫌う人間はいずれ邪魔になる存在だったはずだから。

だったら──好きな人間とだけ仲良くすればいい。

それだけで、きっと人生はずっと楽しくなる。(保証はしませんけど笑)

この境地に立つと

この境地に立つと、不思議と人の優しさを素直に感じられるようになります。

そして同時に、自分も素直に人に優しくできるようになる。

媚びるための優しさではなく、対等で自然な優しさ。

それが巡り巡って、自分に返ってきているのを実感しています。

もう一度結論

結論。

媚びていようが何だろうが、人に優しくしていたら──。

流れに流れて、最終的には「主導権」という形で自分に返ってきました。

だから僕は44歳独身ではありますが、基本的に仲間には恵まれているなと心から思っています。

過去のコンプレックスも遠回りも、結局はここに繋がっていたのかもしれません。

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