今でこそ、ひろゆきさんや有名人の方が
「残業した分の賃金を会社は支払うべきだ」と仰っていて、確かにそうだ、と僕自身も理解していますが
「残業している=仕事に遅れをもたらしている」
2007~2010年、20代後半の僕は、もがきながらそう思っていました。
けれど、今振り返ると、その考え方は自分をすり減らし続けるだけで、
残ったものは少なかったかなと思います。
いや、むしろ失ったものの方が多かったかもしれません。
この記事では、僕が20代、30代、そして40代と進む中で、
どんなふうに働き方に向き合ってきたか。
そして、何に気づいて、どんな後悔や希望を持っているかを振り返ってみたいと思います。
◆ 20代:残業は「自分が出来ないこと」の証だった
社会人になってから5年目くらいまでの僕にとって、残業とは「稼ぐ手段」ではなく、
**「居残りの罰ゲーム」**のようなものでした。
日中はとにかく怒られてばかり。
うまくこなせない。スピードも出ない。
「お前、なんでこんなこともできないんだ」と言われるたび、
ミスを恐れて余計に動きが鈍くなっていきました。
その結果、残業。
でも、「残業時間=自分の本来の業務をできる時間」となっていたし
同じ状況下にいた僕の後輩も、
「僕の残業って、ただ仕事が遅れているってだけだから、会社からおおめにお金をもらうようなものじゃないんですよね。。」
そう口にしていたこともあり、僕もその言葉に激しく納得してしまっていて
会社に申請しない
「1か月あたりサービス残業236時間」
という時期もありました。
今思い返しても、正気の沙汰ではありません。
給与ランクは5年間ずっと最下層のまま。
年収は500万円ほどありましたが、手取りは20万円台前半。
睡眠は1日3時間が当たり前。
心身ともにボロボロ。1年後に僕はうつ病とパニック症候群に陥ったのです。
◆ 30代:少しずつ視野が広がり、自分を信じる力が芽生えた
30代に入ってから、ようやくサブリーダーに昇格。
ただ、思っていたほどの変化はなく、数万円の昇給に留まりました。
33歳、ようやくリーダーに昇格し、責任も増えた分、給料にも反映されるようになっていきました。
また、残業代がきちんと支払われるようになったこともあり、
働き方に対する意識も少しずつ変化していきました。
特に大きな転機となったのは、設計から生産技術への部署異動でした。
目の前の仕事をこなすだけでなく、
「どうすればもっと効率化できるか」「何を改善すべきか」といった視点で物事を考えるようになったんです。
そして何より大きかったのは、
「自分の判断が正しかった」と思える出来事が、少しずつ増えていったことです。
それまでは、何かを提案しても否定され、怒られ、
「自分なんかが考えても意味ない」と思い込んでいました。
でも、自分なりに考えて動いたことが、実を結ぶ瞬間がいくつかありました。
小さなことでも、「ほら、やっぱりこうした方がよかったじゃん」と思える場面が増えた。
この「当たり」が積み重なることで、少しずつですが、
自信というものが自分の中に芽生えてきたのです。
◆ 40代:問い直し続ける時間の中で見えてきたもの
30代までは1社で働き続けていた僕ですが、
37歳から43歳までの6年間で、5回転職をしました。
その中で感じているのは、
「新たな境地にたどり着く」というよりは、
「ああでもない、こうでもない」と、短期間にリセットを繰り返しているような感覚です。
もちろん、良かったこともあります。
1社しか知らなかった38歳までの僕には出会わなかったような業種や人たちと交流できたことで、
「自分がどんなスタンスで仕事をしているのか」を、他人の視点で客観視する機会が増えました。
中でも印象的だったのは、
「あなた、機嫌悪いとき、周りが気を使って避けてるよ」と言われたこと。
「機嫌の悪い人間のところには、誰も寄ってこない」
これに気づけたことは、僕にとって大きな収穫でした。
今でも仕事中にイライラしてしまうことはありますが、
この言葉が頭をよぎることで、感情の暴走にブレーキがかかるようになっています。
一方で、悪い点もありました。
特に痛感しているのは、エンジニアとしての「感覚」が鈍ってしまったことです。
転職の途中で2年間、秘書業務に就いていたこともあり、
工具や設備に触れる機会が減り、
現場感覚や技術的知見が少しずつ薄れていったのは事実です。
◆ まとめ:これからの課題は「バランス」か「活かし方」
40代の今、僕は思います。
経験してきたことには確かに価値がある。
けれど、何かを得るたびに、何かを置いてきたのも事実です。
この偏りをどう改善していくのか。
もしくは、偏りごと受け入れて、どう活かしていくのか。
たぶん、これからの人生は、その選択の連続なんだろうなと感じています。
◆ 最後に
「残業していれば頑張ってることになる」
「怒られてばかりなのは、自分がダメだから」
そう思っていた僕が、ここまで遠回りして気づいたことがあります。
自分の感覚を信じていい瞬間は、必ずある。
それを信じられるようになるまでには時間がかかるかもしれません。
でも、気づけたなら、そこから人生は少しずつ変わっていくはずです。
僕の失敗と回り道が、今まさに苦しんでいる誰かの「立ち止まるきっかけ」になれたら嬉しいです。
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