この記事でわかること(想定読者/結論の先出し)
この記事はこんな方へ向けています。
- 「高待遇なのに3か月で辞めた人って、どんな経緯だったの?」
- 「入社後すぐに違和感を感じたけど、我慢すべきか迷っている」
- 「求人で聞いた内容と、現場の実態がまるで違う」
結論:
高待遇でも、“人を潰す構造”がある職場は長く続かない。
そして「逃げる勇気」は、決して“失敗”ではなく“再出発の第一歩”になる。
経緯:入社〜3か月退職までのタイムライン
入社前に見落としたサイン
30代後半、年収800万円、課長待遇。
プロ野球選手のような年俸制。通勤も快適、副業との両立も可能。
——条件面では、まさに「理想の転職先」でした。
面接で提示されたのは、将来性を示すデータ付きの説明。
「ここなら人生が変わる」と本気で思っていました。
しかし今思えば、この段階で**“違和感”の芽**がいくつかあったのです。
- 面接官の言葉がやけに抽象的だった
- 現場社員と会わせてもらえなかった
- 「マネージャー待遇なのに、部下はいません」とサラッと言われた
このとき「まあ、そのうち整うだろう」と流してしまったのが、最初の見落としでした。
→ 同じように“期待と現実のギャップ”に苦しんだ話は、【転職失敗談 #03】残業236時間で壊れた僕の話 でも書いています。
入社1か月:違和感の蓄積
入社して最初に出会ったのは、“やれやれ詰め込み上司”。
どれだけ納期が無理でも「やれ」の一点張り。
相談しても「それもお前がやれ」。限界を伝えても「じゃあいつ終わるの?」。
上司は定時ダッシュ。
僕は責任だけ背負わされ、部下もサポートもゼロ。
ある日、同僚に言われた一言が刺さりました。
「あんたは“組合員じゃない奴隷”として採られたんだよ」
笑えませんでした。現実そのものでした。
3か月で決断に至った瞬間
その職場では、僕の前にいた3人がすでにメンタルを壊して退職していました。
品質面も崩壊。
かつて尊敬していた元上司(取引先)が怒鳴るほど、製品・対応ともにひどかった。
極めつけは「決算報告会」。
面接で“未来がある”と言われていた資料は、実態と真逆。
粉飾を疑うレベルの発言が飛び交っていました。
そして最後の一言。
「あなたはプロじゃない」
「給料返してほしいわ」
人格否定の嵐。
心も体も限界を超えたその日、僕は決意しました。
「もう、無理や。辞めよう。」
翌日、英語で退職を宣言し、すべてを置いて去りました。
“I will leave this company. Never contact me again.”
心が折れる直前のリアルは、【就職活動で心が折れかけた話】 にも共通しています。
原因分析:短期離職になった3つの根本要因
情報の非対称(求人・面接・現場の齟齬)
求人情報・面接・実際の現場。
それぞれの間に**“情報の断絶”**がありました。
「良い会社に見えるよう設計された情報」しか、僕には見えていなかった。
面接時に「現場見学」や「上司となる人の話」を確認できていれば、防げたかもしれません。
→ 評価や現場実態のズレを深掘りした話は、【転職失敗談 #03】残業236時間で壊れた僕の話 でも詳しく触れています。
役割期待のズレ(任される仕事≠期待される成果)
「マネージャー待遇=裁量を持てる」と思い込んでいました。
実際は、「マネージャー待遇=責任だけ負う立場」。
部下ゼロ・支援ゼロで、成果だけを求められる環境でした。
会社の定義する“マネジメント”と、僕の想像していた“マネジメント”は、まるで別物だったのです。
人間関係と評価の回路(伝わらない貢献)
いくら努力しても、評価が上に伝わらない。
むしろ、上司の責任逃れの盾に使われる。
これは、**「報告ルートと評価ルートが一致していない組織」**で起きる典型例です。
この構造では、誠実に頑張る人ほど早く壊れます。
再発防止チェックリスト(入社前/入社後)
入社前に必ず聞くべき5問
- 現場の直属上司はどんな人か(面談可能か)
- その上司の下で、どのくらいの人が定着しているか
- 評価は誰がどう決めるか
- マネージャー職の裁量範囲と責任範囲
- 直近の離職率・部署の課題は何か
→ これらを意識できるようになったのは、【40代転職成功の秘訣】 で紹介している「選択肢の持ち方」を実践してからです。
初月で確認するべき3指標(裁量・評価・支援)
- 裁量: 任せられる範囲が、面接時の話と一致しているか
- 評価: 成果の判断基準が言語化されているか
- 支援: 困った時に相談できる人がいるか
これらが1か月経っても不明確なら、
「長期戦は危険」と判断して早めに撤退準備を。
教訓とまとめ:これは“失敗”ではなく“再出発のきっかけ”
副業という“もう一つの道”があったおかげで、僕は逃げられました。
会社にしがみつかず、「自分の業(わざ)」を持つことの大切さを学びました。
たった3か月で辞めた経験。
でもそれは、人生を取り戻すための再出発のきっかけでした。
この体験を通して、僕は「認められたい病」から卒業できた気がします。
→ 価値観を整えるきっかけになった話は、【認められたい病からの卒業】 にまとめています。


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