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“他人は変わらない”と腹落ちしたら、心が軽くなった話

僕自身のこと

はじめに:「人を変えよう」として疲れ果てた僕

かつての僕は、人を変えようと必死になっていました。ただの養分だった自分を変えたかった。

承認欲求の塊だった僕は、学生時代に人気者だった友達全員のことを「口説き上手」だと本気で思っていた。だから僕もそんなワードを自然に使えるようになりたい。上司にもっと理解してほしい、部下にきちんと動いてほしい、仲間にもっと協力してほしい──。そんな思いで、自分の言葉や行動をあれこれ工夫していましたが、現実は何一つ変わりませんでした。
むしろ、期待すればするほどイライラは募り、「自分がダメなんじゃないか」と落ち込むことの方が多かったのです。どうすればキムタクがドラマで口説いているような「ちょっと恥ずかしい」セリフを僕でも自然に言えるようになるんだ??とかね。(笑)

そんな僕が「他人は変わらない」と本当の意味で腹落ちした瞬間、心がフッと軽くなりました。今日はその体験について、少し長くなりますが書いてみたいと思います。


理想の仲間を求めて、MLMにのめり込んだ日々

「やっと、社畜を卒業できて、自由になれるであろうチャンスが廻ってきた!」

「一生付き合える仲間と、いつでも好きな時に好きなだけ海外旅行をしたい」


そんな夢のような理想に胸を躍らせたのが、ある海外旅行サークルというMLM(ネットワークビジネス)を知ったときでした。怪しさも正直ありましたが、それ以上に「仲間と共に生きる」という理想が一気に現実に近づいた気がして、僕は本気になりました。

どうすれば仲間を増やせるのか──その答えを探すように、海外で開催されるセミナーにも皆勤で参加しました。予定を調整して飛行機に乗り、宿泊費込みで1回20万円以上かかることも珍しくありません。月額8万円以上の費用を払い続け、「魔法の言葉」と呼ばれるものがあると信じて学び続けました。


「魔法の言葉」を探していた過去の自分

今思えば、あの頃の僕は「相手を変える方法」を探すことばかりに必死でした。「この一言さえ言えれば人は動く」「この伝え方さえマスターすれば仲間は増える」と信じていたのです。

ところが、破滅から6年たったある日、ひょんなことから別のMLMセミナーに顔を出す機会がありました。懇親会で耳に入ってきたのは、参加者たちがトップランカーに向かって次々と口にする言葉でした。

「私もゴールドプレーヤーになりたいんです」
「プラチナランカーになりたいんです」
「仲間を集めるために、何と言えばいいんですか?」

その光景を見た瞬間、6年前の自分とまったく同じ姿がそこにあるようで、ハッとしたのです。「ああ、自分も“魔法の言葉”を探し続けていたんだ」と。


“必殺ワード”は存在しなかった

さらに僕の考えを大きく変えたのは、秘書の仕事で出会ったある社長との時間でした。
その方は、グループ最速で年収1億円を稼ぎ出した人物。僕は当然、「そんな成果を出す人は、きっと何かすごい“必殺ワード”を持っているに違いない」と思い、すぐそばで何を話しているのかを聞き耳を立てていました。

ところが、1日経っても、1週間経っても、1か月経っても、その“決め台詞”は一向に出てこないのです。いつ出るんだ?と待ち続けていた僕は、やがて探るのをやめました。

それでも、4か月ほど経つ頃には、ゼロから立ち上げたばかりの事務所に次々と人が訪れるようになりました。
「今日面談したい」「話を聞きたい」と、1人、2人、5人、10人と、面談の予約で埋まっていきました。社長がしていたのは、ただたわいもない話をしているだけ。誰かを口説くわけでもなければ、人を変えようとしている様子もありません。

それなのに、人が勝手に集まってくる。勝手にこっちに靡いてくる。
その光景は、僕の中の「人を変えようとする常識」を根底からひっくり返しました。


北風と太陽のような現実

この経験は、まさに「北風と太陽」の話そのものでした。
力づくで相手のコートを脱がそうとしても(=北風)、人は身構えるだけ。けれど、太陽のようにただ自分らしく光を放っていれば、人は自分の意志でコートを脱ぐ。

「人を変えよう」とすればするほど、人は変わらない。
けれど、自分の在り方を整え、自分の行動を貫いていれば、勝手に変わる人が現れる。
この現実を目の当たりにしたとき、僕の中で大きな何かが音を立てて崩れました。


行動が変わったら、周囲の人間関係も変わった

それからの僕は、「口説く」「説得する」といったことを一切やめました。
ただ、相手に喜んでもらえる行動に徹する。この人と一緒なら、何をしても楽しいだろうと思ってもらえるような自分になることに全力を注ぎました。

それは言葉にすれば簡単そうですが、実際に腹落ちするまでには3年近くかかり、その間に一度死んだような思いもしました。それでも、立て直し始めたとき、周囲の人たちの僕を見る目が明らかに変わったと感じたのです。

そして、かつてはどこかギスギスしていた他の4人の秘書とも、自然に支え合える関係になっていきました。誰かを「変えよう」と思っていた頃には、決して見えなかった景色でした。


「自然にできる」ようになってこそ本物

相手の立場に立ち、ワザとっぽくも恩着せがましくもなく、あくまで自然に「喜んでもらえる行動」を考えて実践する──言葉にすればたったこれだけのことです。

けれど、これが自然にできるようになるまでは、本当の意味で腹落ちしているとは言えません。頭では理解していても、行動が伴わなければまだ道半ば。
自然にできるようになって初めて、「ああ、自分は“他人は変わらない”という真実を理解しているんだな」と思えるレベルに到達できるのだと、今の僕は感じています。


おわりに:「変えよう」としないだけで、心は軽くなる

「他人は変わらない」と気づく前の僕は、人間関係にいつも疲れていました。
「もっとこうしてほしい」「なぜわかってくれないんだ」と不満ばかりを抱え、結果として自分自身が一番苦しんでいたのです。

でも、「人はこっちの都合では変わらない」と腹落ちしてからは、不思議と心が軽くなりました。
変える必要なんてない。自分がどう在るか、自分がどんな行動を選ぶか。それだけに集中すればいい。そう思えるようになったら、人間関係の景色がまったく違って見えるようになりました。

そして何より嬉しいのは、そんな自分の姿勢に共鳴して、自然と仲間になってくれる人が現れることです。
まるで『半沢直樹』のように、最初は敵意を見せていた人が仲間になっていく──そんな瞬間は、今でも得も言われぬ喜びを感じます。

「他人は変わらない」と腹落ちすることは、諦めではありません。
むしろ、それは“本当の人間関係”が始まる出発点なのだと、今の僕は心から思っています。

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