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2度の破滅と6度の転職。44歳の僕がやっと“ゼロより上”になれた話

✍️ まずは前提と経緯から

今の仕事では、このまま働き続けたら本当に死んでしまう――そう感じた時期がありました。
実際、同じ職場で命を落とした仲間もいました。

そんな僕は、日々ストレスを抱え、その発散には車や欲しいものに「浪費」という形をとっていました。それもローンを多用するという最悪な形です。。。
それが当たり前になったとき、「これではダメだまじで」と思い、「もっとお金を稼いで自由に、健康に生きたい」ともがき続けたけれど、どれもうまくいかず。
気づけば、心の底から「もう一度やり直したい」としか思えなくなっていた。
それが、2度死んだ僕の5年間。
そして、45歳になった今、ようやく少しだけ“ゼロより上”に立てた――そんな僕の再生の記録です。


🕊️ はじめに|5年間で2度死んだ僕が見た現実

働くことが怖くなる瞬間があります。
努力を続けても報われず、結果を出しても誰にも認められない。
それどころか、心も身体も削られていく。
僕の場合、それが限界を越えた時、「死んだ」としか言いようのない5年間が始まりました。

僕は、経済的に2度死にました。
一度は自己破産。もう一度は、持ち金をすべて失って居場所をなくした。
けれど、僕はただ「楽しく生きていきたい」と思って、一生懸命働いてきただけなんです。
それだけでこんな経験をした人間も、そう多くないと思います。

今の仕事では、このまま働いたら本当に死んでしまう――そう感じたこともありました。
実際、同じ職場で命を落とした仲間もいた。
だからこそ「もっとお金を稼いで、自由で健康に生きたい」と強く願って動いた。
でも、結果はどれもうまくいかず。
お金も信用も失い、最後には「もう一度やり直したい」としか思えなくなっていました。

そんな時、キーボードに向かったきっかけは、
ようやく立ち直りかけた頃に、周囲の“良い仲間たち”を見たことでした。
彼らのような誠実な人たちには、僕と同じ失敗をしてほしくない――そう思ったんです。

僕にできることは、
「普通の人が、これを選んだら僕は失敗したよ」と、できる限り明確に残すこと。
僕を反面教師にして、失敗する人間をひとりでも減らしたい。
それが、僕が生きてきた意味になる気がしました。

普通の人が、少し間違った考え方をしただけで、どうしてこんなにも簡単に破滅してしまうのか。
その現実を、僕自身の体験を通して伝えたい。
まずは――僕の失敗の本堂とも言える、5年間の「転職失敗談」を、正直に書きます。


📖 第1章:転職失敗の全記録(6社まとめ)

転職を5回繰り返したこの5年間は、まさに生きるか死ぬかの選択の連続でした。
僕は「働く場所を変えれば人生も変わる」と信じていました。
けれど、現実はその逆でした。

職場を変えるたびに、期待と不安を胸に新しいスタートを切る。
最初は少しうまくいっても、やがて同じ壁にぶつかり、心がすり減っていく。
「次こそは」と思って転職したはずなのに、気づけばまた同じ過ちを繰り返していた。

でも今振り返ると、あの6回の転職には、ちゃんと意味があったと思っています。
失敗を重ねるたびに、少しずつ“自分の限界”と“本当に守りたいもの”が見えてきた。
この章では、そんな僕の5つの転職を、包み隠さず記録していきます。
45歳になった今だからこそ、正直に書ける「敗北の履歴書」です。


🏢 第1社目|「好きな仕事」だけでは生き残れなかった

入社した当初、僕は毎日が楽しくて仕方がなかった。
好きな車に関われて、モノづくりの現場に立てて、周囲からも「熱心だな」と言われた。
その言葉がうれしくて、どんなに業務をぶち込まれても「やりますっ!」と答え、朝は誰よりも早く会社に行き、夜は誰よりも遅くまで残った。
「努力は必ず報われる」と信じて疑わなかった。

でも、その努力はやがて「無限に働ける人」として扱われることに変わっていった。
仕事を終わらせても、次の仕事が当然のように降ってくる。
「自分がやらなければ」と思い込んでいた僕は、気づけば誰にも頼れない存在になっていた。
“好き”で始めた仕事が、いつの間にか自分を削る装置になっていた。

残業時間は月に236時間(僕の記録ベースですが)を数え、26歳の僕でも1年で倒れ、うつ病を発症した。だけど、我慢するしかなかった。

それでも耐えに耐え、主力と呼ばれるようになった僕だが、Yesマンではもう限界で、会社のほうにも財務的に欠陥が見え始めるようになった。そして、この会社を去ることと、自分で資産形成をしなければという思いに駆られるようになる。


💸 第2社目|年収アップを狙って、自由も時間も失った

15年近く働いた1社目を辞めた僕は、「もう少し稼げる場所へ」と願った。
もっと給料をもらえれば、余裕のある暮らしができる。
そう思って転職サイトを開いたのが、地獄の始まりだった。

内定が出た瞬間は、正直うれしかった。
前職よりも年収は上がり、ネームバリューもある大手メーカー。
「ついに報われた」と勘違いした。
けれど入社してすぐに、それが幻想だったと気づく。

毎日が会議と資料、終わらない残業。
前職よりも時間の自由はなく、休日は体力回復で終わった。
それでも「せっかく入ったのだから」と無理を重ねるうちに、
心も身体も、少しずつ壊れていった。
“お金さえあれば幸せになれる”――その思い込みが、僕を一番苦しめた。

そして、無茶苦茶な資産形成を始めた見返りが、最悪の形「支払いがモームリ」という形で襲い掛かる。


⏳ 第3社目|理想の会社で、3か月で燃え尽きた

3社目は、ここ数年来で最も「入りたい」と思った会社だった。
同じ業界でも、自社製品よりもはるかにフィーリングの良い製品をつくっていた。
面接では、好条件の理由を誠実な言葉で説明してもらい、そこに嘘のない“合理さ”を感じた。
だからこそ、今回は本当に正しい選択をした――そう信じていた。

ところが、入社して目にしたのは想像とまったく違う光景だった。
薄暗い部屋、圧倒的に少ない人員、閑散とした工場。
社員たちは皆、どこか無表情で、不機嫌そうに仕事をしていた。
最初は「少数精鋭の真剣さ」だと自分に言い聞かせた。
だが、それは“熱”ではなく、“虚無”から生まれた沈黙だった。

理想は失望に変わり、僕は誰よりも自分をすり減らしていった。
そして、入社からわずか2か月半で心が折れ、3か月で退職。
追い求めて手に入れたはずの理想が、最も早く崩れ去った瞬間だった。
「もういいや」と心の底から思った。
――ここで、僕は一度目の破滅を迎えた。


🎩 第4社目|資産家の秘書として、“成功者の幻”に溺れた

3社目を辞めた僕は、すべてをリセット。しかし借金とともに持ち金もなくなった。
そんなときに出会ったのが、偶然にも高級車2台と自宅近くの小さな事務所だけを持つ社長の秘書という仕事だった。初めての訪問者が僕だったらしい。
高級車、ワイン、富裕層との会食。
そこには、僕がずっと理想に描いてきた“高級車に触って騒ぎながら仲間と楽しく集まる場所”があった。

最初は本気で感動した。
「やっと報われた」と思った。
尊敬というよりも、崇拝に近い感情を持っていたと思う。
しかし、少しずつその輝きの裏側に“空虚さ”が見え始めた。

お金があっても、心がない。
人が集まっても、信頼がない。
不真面目な人間ほど重用され、カネを持っていく現場。
それでも見て見ぬふりをしていた僕は、やがて限界を迎えた。

ある日、初めて**「クビだ」という言葉を吐かれ、
さらに
「殺す」**という言葉まで添えられた。
その瞬間、胸の奥にあった不信感が確信に変わった。
――この場所からは逃げなければいけない。

屈辱の涙が込み上げた。
けれど同時に、「もうやり切った」という感情も確かにあった。
未練なくサヨナラできる――そう思えたのは、あの瞬間だけだった。
数年後、あの選択が正しかったと確信する出来事が起きるのだが、
それはまた、別の機会で語れればいいかなと思う。


⚙️ 第5社目|派遣という選択で見えた、地に足のつく生き方

資産家の秘書を辞めたあと、僕はしばらく何も考えられなかった。
何かを目指す気力も、お金も、もう残っていなかった。
ただ、「働く」という当たり前のことに戻るしかなかった。

そんなとき、紹介されたのが派遣の仕事だった。
正社員ではないし、キャリアにもならないかもしれない。
それでも、「誰かの役に立てる場所で働けるなら」と思えた。
初めて“肩の力を抜いて働く”という感覚を知ったのは、この職場に来てからだった。

仕事をすれば感謝の言葉が返ってくる。
残業も少なく、土日にはちゃんと空が見える。
当たり前のようで、ずっと忘れていた「穏やかに働く」感覚。
ようやく呼吸ができた。

そして、ここでの出会いが僕の人生を大きく変えた。
同じように仕事で苦しんできた仲間がいて、
彼らと話すうちに、誰もが心のどこかで「もう一度立ち直りたい」と思っていることを知った。
その姿に、かつての自分を見た。
「僕のような失敗を、他の誰かに繰り返してほしくない」――そう思った。

その気持ちが、今このブログを書く決意につながっている。
派遣という“寄り道”が、僕に再び人を信じる力をくれた。


🌱 第6社目|45歳でようやくつかんだ、“再設計できる職場”

5社目で少しずつ立ち直りながらも、
「このままで終わっていいのか」という気持ちはずっと残っていた。
もう一度、逃げではなく、自分の意思で転職をしてみたかった。

そうして迎えた6社目。
今度は焦らず、年収や肩書きだけで決めず、
「自分がどう生きたいか」から逆算して選んだ職場だった。
条件も悪くない。環境も、やることも、過去よりずっと整っている。
それでも、理想通りにはいかない。

正直に言えば、人間関係はあまり良くない。
毎日、小さな違和感や理不尽さを感じる。
ときには「もう辞めたい」と思う日もある。
でも、昔と決定的に違うのは、その中でも立ち止まれるようになったことだ。

無理をして笑わなくてもいい。
疲れたら一歩引けばいい。
かつては、すべてを燃やして働いていた僕が、
ようやく“自分を壊さずに働く”という感覚を覚えた。

そして気づいた。
幸せは「完璧な環境」にあるのではなく、
自分で選んだ道を、誤魔化さず歩けているかどうかにあるんだと。

45歳になった今でも、まだ道の途中だ。
ハッピーエンドではない。
だけど、ようやく“自分の足で立っている”という実感がある。
それが、僕にとっての再出発だった。


🕊️ エピローグ|それでも、生き直すことはできる

正直に言うと、今の僕の人生はまだ途中です。
職場で嫌な思いをすることもあるし、朝からため息をつく日もある。
“完全に立ち直った”なんて言える段階ではありません。

でも、あの頃と違うのは――
どんなに疲れても、もう「死にたい」とは思わないこと。
そして、どんなに孤独でも、「自分はもうダメだ」とは言わなくなったことです。

失敗を繰り返し、2度破滅した僕が、ようやくわかったのは、
人生はやり直せるけれど、完璧には直らないということ。
それでも、少しずつ「ましな選択」を積み重ねていけば、
生きやすい場所にたどり着ける、ということ。

このブログは、そんな僕が「イイヤツな貴方」――
真面目で、優しくて、頑張りすぎてしまう貴方の味方でいたいと思って書いています。
僕のように遠回りをしてほしくない。
だからこそ、僕が倒れた場所を、先にマップに残しておく。

もしこの文章を読んでくれている貴方が、
今まさに苦しんでいる最中なら、
それはもう立ち直りの途中です。
焦らなくていい。完璧を目指さなくていい。

僕は、何度でも倒れて、何度でも立ち直ってきた。
だから、貴方もきっと大丈夫です。
僕は、これからも――
「イイヤツな貴方」の味方として、生き直す物語を書き続けます。

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