結論、友達が離れていきます(経験済)。もうね、もはや擦られすぎてみんな怪しみます。
「あいつ、やばいって。」って。
当時の僕は“リアル勝ち組ごっこ”をしていた
・タワマン、ガチでいきましたよ。
・超高級車、ガチで乗りましたよ。ロールスロイス・ベントレー・ポルシェ・ベンツ・BMW・ランボ・フェラーリ・センチュリー・レクサス、などなどなど。1度や2度の試乗レベルではなくて、ほぼ毎日、2年弱でトータル5万キロは乗った。
・海外のプール付き大邸宅、ガチでいきましたよ。数か月ですが住んでいた。
・海外の絶景、ガチで見ましたよ。
・海外の高級グルメ、ガチでご馳走にもなりましたよ。
・金持ちたちとの時間、ガチで一緒に過ごしましたよ。
・成功者(その時本当に稼いでいた人)100人以上には会いましたよ。
それでも、ダメだったんです。この「自慢」では。
本当に恥ずかしながら
3から5年ほど前まで、僕はこの種の投稿をやりまくってました。
まだ当時は、今ほど粗悪ではなく、
「実際に経験したから上げてる。嘘じゃないんです。」って思ってました。
しかし、じゃあそれを見た今までの友達が
「すごいなあ、私もなりたい」
とはならなかった。
「あいつなんかやばくない?」
が回っていた。僕が思う5倍くらいは広まっていた。
で、やがて落ちぶれてそう言う投稿をやめた時に、
上記を教えてくれたのが
「おかえり」といって迎えてくれた1人の女性友達だった。
キラキラ投稿は、構造そのものがもう壊れている
ここで誤解してほしくないのは、
「あなたの投稿が悪い」と言いたいわけではないということです。
キラキラ投稿というものは、もうその構造自体が
「上げてるやつ=ヤバい」になってしまっているんです。
仕組みとして壊れている。
つまり、“構造がダメ”なんです。
悪いのは個人ではなく、構造。
そして、そうしてしまったのは、“悪い先輩たち”なんです。
見栄で、焦りで、承認欲求で、
SNSを「虚勢のショーウィンドウ」に変えてしまった。
「自慢しい」ではダメなんです。本当にすごい人がしたとしても聞いてて不快にしかならない。
「自慢しい」に関しては、この記事に体験談があるので。よかったらどうぞ。
100億円資産家の自慢話に、心がすり減った話|“すごい人”に疲れる瞬間
承認欲求の“燃料”はすぐに尽きる
最初は気持ちよかったんですよ。リスクを取って、僕はたっかいお金も払った。同じように行動してできた仲間とともに本当に体験できたんですから。「いいね」がつくたびに、自分が上に行けた気がした。
でもそのうち、反応が減ると焦り始める。
「どうした?最近勢いないじゃん」と言われたくなくて、必死で盛っていく。
気づけば、現実よりも「見せるための自分」を生きていた。
そして、SNS上の“僕”がどんどん肥大化していく。
リアルな僕は、どんどん空っぽになっていった。
一番怖いのは「誰も信じてくれなくなる」こと
最初は羨ましがられた。けど、そのうち距離を置かれる。
「どうせまた自慢でしょ?」
「本当かどうか怪しい」
そう思われ始めたら終わりです。
本当の成功者を見てきたからこそ言えるけど、
本当に稼いでる人ほど、SNSでアピールなんてしてません。
静かに、淡々と、地に足つけて積み上げてる。
本当の“キラキラ”ってなんだったのか
SNSでは“すごいね”が欲しくて動いてたけど、
本当に欲しかったのは、“認められる自分”じゃなくて“安心して生きられる自分”だった。
だけど、あの頃はそんなこと考えもしなかった。
ひたすら上を見て、「あの人たちに追いつきたい」って思ってた。
そして気づけば、見えない誰かと競争して、勝手に負けて、勝手に疲れてた。
破滅に向かう瞬間
一番怖いのは、金が尽きた瞬間に“SNSの僕”が死ぬことだった。
「あれ?最近あの人、投稿してないね」
そう言われるのが怖くて、もう中身なんてどうでもよくなってた。
カードの請求が来るたびに現実を見たくなくて、
「次の月こそ取り戻せる」って、どこかの誰かの名言にすがってた。
投稿すればするほど、心が貧しくなっていった。
教訓|SNSの“キラキラ”は心のローン契約
SNSで輝いて見える投稿は、たいてい「心のローン返済」です。
見栄や焦りで作った虚像を、維持するための投稿。
僕はそれで人生を誤りました。
承認欲求の中毒は、麻薬と同じです。
抜け出すには、“何も発信しない時間”を取ること。
救いは「おかえり」と言ってくれた人の存在
皮肉なことに、SNSをやめたら人間関係が戻った。
僕が黙っていても、昔の友達が「どうしてる?」って連絡をくれた。
あの「おかえり」の一言に、どれだけ救われたか。
“何も発信しない”時間の中で、ようやく「生きてるだけで十分」って思えた。
SNSで誰かに証明しなくても、今日をちゃんと生きてる自分がいるだけで、それで良かった。
本当の幸福は「映えない瞬間」にあった
誰も見ていない努力、地味な日常、コツコツ積み上げる時間。
SNSには映えないけど、そこにしか本当の安心はなかった。
キラキラをやめた瞬間、僕の人生はようやく落ち着きました。


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