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制度や仕組みが味方してくれる側に回ったほうがいいと思った話

僕自身のこと

イイヤツでいるなら、なおさら「制度に守られる側」に回ったほうがいいと思っています。


結論|イイヤツでいるなら、制度に守られる側に回ったほうがいい

個人の善意に頼るより、仕組みが機能する場所に移動したほうが詰みにくいです。


強いもの・賢いものが生き残ると思っていました

子供のころや若いころの僕は、
「強いもの」か「賢いもの」が生き残ると思っていました。

物語の中では、圧倒的な力を持つ者が勝ちます。
知恵で困難を突破する者が主役になります。

僕の子供のころはそれが顕著に出ていました。

  • 聖闘士星矢
  • 北斗の拳
  • ドラゴンボール
  • ストリートファイターⅡ
  • ドラゴンクエスト
  • ファイナルファンタジー

現実の世界でもそうでした。

  • こだわりの料理人
  • 天才スポーツ選手
  • 有名大卒の秀才→官僚やメガ企業で偉いポジション・自分で起業できる
  • 大学卒よりも大学院卒(僕がいた大学で教授が連呼していた)

「すごい」「カッコいい」と言われるのは、いつもそういう人たちでした。

だから自然と、僕もそうなろうとしました。

我慢する。
空気を読む。
自分を抑える。

それが「できる人間」の条件で、生き残るための正解だと本気で思っていました。


雪の中のカラスが教えてくれた言葉

昔、勤務先の副社長が、カナダ旅行中に撮った写真を見せてくれたことがあります。

雪景色の中、電線に止まっている一羽のカラスでした。

副社長はその写真を見せながら言いました。

「カラスは本来、こういう環境で生きる生き物じゃない。
でも、変化に適応できたからこうして生きている」

そして続けてこう言いました。

生き残れるのは、
強い人間でも賢い人間でもなく、
変化に適応して変われる人間だ。

正直に言うと、当時の僕にはこの言葉の意味が分かりませんでした。

副社長は従業員が何万人もいる会社の副社長です。
僕から見れば完全に別世界の人間で、孤高の存在でした。

だからこの言葉も、

「強い人だから言える話」
「特別な人間の哲学」

として受け取っていました。

自分の人生に当てはめる発想すらなかったです。


秘書時代に見えた“空気を作る強さ”

この言葉をほんの少しだけ理解できたのは、僕が秘書という立場になったときでした。

人が群がる理由は、社長個人のカリスマ性だけではありませんでした。

社長と、その周囲を固める人間たちが作る「空気」。
そこに人は惹きつけられていました。

教えを乞いに来る人たちは口をそろえてこう言いました。

「ボスもすごいけど、周りの人たちの動きがすごい」

取り巻きは絶対に目立ってはいけません。
前に出ない。自我を出さない。空気を乱さない。

一方でボス本人は孤高に見えて、驚くほど気さくだったりします。
そのギャップに惹かれ、周囲の所作によってさらにボスが際立ちます。

ただ当時の僕は、それを「適応」とは呼べませんでした。

ボスが圧倒的に強く、僕はその空気の中に住まわせてもらっているだけだと思っていたからです。


今回の職場で感じた違和感

そして今回の職場でも、僕は早い段階で違和感を持っていました。

この会社は、困りごとや課題感を自分たちから表に出しません。
表向きは「問題はない」という空気が強かったです。

でも調べていくと課題はいくらでも見つかりました。

ただ、その多くは僕に指摘されると屈辱だろうなと思う類のものでした。
特に不具合を起こす原因の部分です。

上は何も言わない。
でも現場はすでに認識している。

「現場は分かっている。でも上が動かない」

そういう構造でした。

だから僕も、正論を振りかざすことはしませんでした。
徐々に現場の意見を聞き込むところから始めました。

ただ、それが気に入らなかったのかもしれません。

管理職層から上は、不機嫌で辛辣で失礼なコミュニケーションを取り始めました。

プライベートな話題を持ち出して、こちらをからかうような言い方をされたり、
小さな揶揄が積み重なるようになりました。

仕事とは関係ない部分で、じわじわと居心地が悪くなっていきました。

会議に出てほしいと言われて出席しただけなのに、
後から長時間、後追いでダメ出しが続きました。

何を求められているのかが分からないまま、消耗していく感覚がありました。


小さな所作が示す組織の文化

言葉だけではありません。

僕が自前の道具を貸しても「ありがとう」の一言すらありません。
当然のように取って、使い終わったら置きっぱなしです。

業務の質問をされて答えたら、
その本人も宛先に入っているメールに書いてある内容だったこともあります。

それをそっと伝えても礼もありません。

やってもらって当たり前。教えてもらって当然。

そういう空気が確かにありました。

このあたりから僕は、仕事以前に、他人への敬意が欠けている空気を感じ始めました。

そして僕は、自分から距離を詰めていくのをやめました。


ルールではなくローカルルールが支配していました

真意は分かりません。
でも僕のことが気に入らなかったんだと思います。

僕はルールに従って仕事をしようとしました。
でも彼らは独自のローカルルールを運用していました。

共有もされないまま進みます。

無申告の残業が前提のような空気があり、
僕が定時で帰ると、非協力的だという温度になります。

冷ややかな視線。沈黙。温度が下がる。

ルールより空気のほうが強かったです。

そして僕は、その空気の中で少しずつ立場を失っていきました。


呼び出しと通告、その①|空気が決まり始めた頃

ローカルルールの空気の中で働いていると、
自分が何か大きな失敗をしたわけでもないのに、
立場だけが少しずつ削られていきました。

僕はまだ、
「自分は素人なんだから、今は我慢の時期だ」
と思っていました。

余計な波風を立てず、まずは馴染むべきだと。

でも今思えば、その時点で空気はもう決まり始めていたのかもしれません。

ある日、突然呼び出されました。

「ちょっと打合せしよう」

そう言われて会議室に入ると、
「キミの評価は低い」と言われていることだけは分かりました。

具体的に何が問題なのかは曖昧なままでした。

その場では、こちらが何を言っても手応えがありませんでした。

交渉ではなく、説明でもなく、
ただ空気だけが固まっていく。

そんな感覚でした。

その頃、僕は体調を崩し始めていました。
精神的にもかなり限界に近かったです。

感情が揺れましたが、必死で抑えていました。

ただ同時に気づいたことがあります。

苦しさだけでは、制度の言語になりにくい。
制度の世界は感情では動かない。

実際、体調を崩した時に会社が悪かったとして慰謝料はもらえるのか?

その相場は?

いくら確認してみても数十万円程度です。これで退職しても僕が更にしんどくなるだけです。

だから僕はメモを取り始めました。

何を言われたか。
いつ、誰に、どんな形で言われたか。

徹底的に事実と感情を分けました。
制度に渡すのは事実だけです。

中立の立場であろう人事部にも、
事実だけを淡々と共有しました。もちろん全部録音して臨みました。

その習慣を続けるうちに、状況が少しずつ整理されていきました。

当時は「理不尽だ」としか感じられなかった出来事が、
記録を積み上げることで「確認すべき論点」として見えるようになってきました。

そして、その延長線上にあの通告が来ました。


呼び出しと通告、その②|給料3割減か解雇か、そして現実に解雇されました

ある日突然呼び出され、
給料を三割減らすか、受け入れないなら解雇だと告げられました。

交渉ではありませんでした。
相談でもありませんでした。

通告でした。

人事に共有していた内容には触れられないまま、話が進んでいきました。

そして一週間後、僕は実際に解雇されました。

こちらの記事にも詳しく書いておきましたので良かったら読んでみてくださると嬉しいです。

解雇される側に“選択肢”はなかったのか―「え、俺が?」から始まった解雇体験―
「すぐに解雇するつもりはない」と言われた日から、すべてが変わった。突然切られる側になった会社員が、判断を狂わせた構造と選択肢の消え方を事実ベースで記録する。
解雇体験シリーズ第1話 「減給付き配置転換 or クビ」という名の二択を突き付けられた日
「配置転換」という言葉で提示されたのは、月給14万円ダウンか解雇かの二択だった。真面目に働いていただけの会社員が、その日どう動いたのか。第2話につながる実体験の記録。


解雇を告げられたとき、僕はすでに準備をしていました

もちろんショックはありました。

「会社というのは、こういうことも出来てしまうのか…」と。

ただ、完全に想定外だったかというと、そうでもありませんでした。

僕はすでに、日々のメモを取り続けていました。

そうして記録を積み上げるうちに、
「確認すべき論点」がいくつも見えるようになっていた。

特に問題だと感じたのは、説明が変わっていく部分でした。

  • 会社側の説明が変わっていく部分
  • 手続きが曖昧な部分
  • 言っていることとやっていることが噛み合わない部分
  • 自分から辞める場合と会社に辞めさせられる場合にどう動くのが「得」か?

僕はそれらを、感情ではなく事実として整理していました。

だから僕は、いくつかシミュレーションもできていました。

このまま評価を理由に圧力が強まるかもしれない。
最悪、解雇という形になるかもしれない。

もちろん望んでいたわけではありません。

でも、確認すべき論点を準備していたことで、
最悪の展開に対しても備えができていました。

解雇された瞬間に僕が思ったのは、

「終わった」ではなく、
「ここから制度の話になる」という感覚でした。

個人の感情で耐える世界ではなく、
記録とルールで判断される世界に移る。

そういう切り替えが、すでに始まっていました。

ただ、ショックだったし、収入が途絶える不安が大きくのしかかってきました。
だからダメージももちろんあります(今の僕です)。


制度を使うには制度の味方が必要でした

弁護士にも相談しました。

何人か話を聞いてもらう中で、
ようやく自分の状況を整理し、現実的な方針を一緒に考えてくれる弁護士に出会えました(今)。

制度は存在するだけでは機能しません。
使える形に翻訳してくれる人が必要でした。

振り返ると、会社側の過去の対応が後から記録として浮かび上がってくる場面もありました。

僕が何か特別なことをしたというより、
起きたことを淡々と残した結果だと思っています。


締め|守られる場所に移動するだけで難易度は変わります

僕はずっと、強くなろうとしていました。
賢くなろうとしていました。

でも結局必要だったのは、そこじゃなかったようです。

ここは僕が現在の審判を終えたときにより強く宣言できるでしょう。

守られる場所に移動する。
それだけで、人生の難易度は変わります。

あの雪の中のカラスの言葉を、
僕はようやく自分の現実として理解しました。

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